プロフィール
(株)OMDインターナショナル
(株)大木無線電気
代表取締役CEO
大木武士
Takeshi Ooki昭和49年2月生まれ 船橋市出身
千葉工業大学卒業後、アヅサ電気工業、
松下電器産業を経てOMDインターナショナルグループ代表取締役CEOに就任。
興味のあるテーマは映画「きらきら眼鏡」大ヒットと船橋に大型催事場を!
電気ハツラツ!芝山から世界へ発信!
本業は電気工事屋ですが、とりわけ太陽光発電業界では先駆者として日本全国に事業を展開しております。
海外事業ではガーナやカンボジアに現地法人をつくり、ワクワクすることを仕事にしてきました。
芝山から世界に電気ハツラツ!を発信して参ります。
ご興味お持ちの方はお気軽にお声がけ下さい。
本業、「大木無線電気」の
伝説づくり
OMDインターナショナル代表の大木武士です。
昭和49年に、先代の父である大木常昭が日本ビクターを退社し、船橋市三山にミュージックショップオオキを開店。当時は、主にカー用品雑貨やカーステレオ、エイトトラックの音楽テープなどを扱っていました。車にカーステレオやカー装飾雑貨などを取り付けていました。
その後、現在の船橋市芝山に店舗を新築し移転しました。先代の電気好きが高じて、家庭電化製品を扱うようになり、エアコンやテレビアンテナ、小規模な電気工事をお請けしておりました。いわゆる、街の電器屋さんです。並行して、当時流行っていたアマチュア無線(ハム)の無線機、アンテナ、付随するケーブル、コネクタ関連、設置工事を多数扱っていました。当時は秋葉原以外では扱うお店はなく、多くのアマチュア無線ユーザーさんにご愛顧頂きました。
昭和56年に有限会社大木無線電気として法人登記をしました。
平成に入りバブル時代は、市役所や大学へ家電品や蛍光灯の管球類、乾電池などの納品や、一般のご家庭からも沢山の引き合いを頂き景気の良い時代がありました。
その後、バブルの崩壊、大型家電量販店が誕生し、「街の電器屋」の仕事が減っていき苦しい時代がやってきました。時を同じくして先代に頸椎の難病が見つかり、戦線を離脱することをきっかけに次男の大木博士(現副社長)が修行先の電気工事会社を退社し、家業に戻ることになりました。長男である私はその頃、松下電器産業に在籍し、電気通信工事の現場監督をしており、日本全国で単身赴任生活を送っていました。
先代は、息子たちにはこれからは家電よりも工事を主体にしなければ生き残れない、手に職をつけろ、とにかく資格を取れ、と学生の頃から言われてきました。二人の息子は電気工事への道に自然と進んでいきました。
「街の電器屋」から徐々に電気工事のウェイトが増えてきました。家業が忙しく手が回らなくなり、そろそろ戻って来いということで2008年大木武士が12年間のサラリーマン生活を卒業し、大木無線電気へ入社しました。
仕事が沢山あり忙しくしているのに、どうして資金繰りが悪いのか?一件、一件の案件では赤字の案件なんて一つもないのに、いつも火の車。月末になると家族が貯金を切り崩して会社に資金を持ちより何とか経営をしていました。
会社としてとても苦しく、悔しい思いも沢山した時期でした。
私が大木無線電気に入社して間もなく、先代の末期ガンが発覚。すぐに社長交代の手続きを行い急きょ大木武士が代表取締役となりました。その3か月後、2009年3月に先代が他界しました。
こちらをクリックで漫画「おおきむせん物語」を読むことが出来ます。
先代の葬儀には沢山の方にご参列頂きました。あのころを振り返ると、父の最後は感動的でした。多くの方とご縁を頂き惜しまれ愛されて去っていきました。確かに宿題はありました。でもその宿題のおかげで家族が争うことなく一つの方向に進むことができたし、何とかしたいと常に工夫を求めてきました。そして、あとはお前がやれと、死をもって私の背中を押して継承してくれました。私は最高の財産を受け取りました。人の命は絶えても、企業にはその魂は宿り続けます。大木無線電気のストーリーはまだまだ続きます。
電気工事の請負労務仕事では、売り上げを上げるためには人を沢山増やすしか、劇的な売り上げ増加は見込めない。経営効率を上げるには、やはり流通をうみださないと、物を直接売らないとダメ。では何を売ろう・・・
私たちが活路を見出すとしたら太陽光発電しかないと決意しました。それ以降は、大枚をはたいてコンサルタントと契約をして会社のレベルアップをはかったり、太陽光の勉強会や講習会があればどこでも顔を出し、とにかく太陽光発電といえば、大木無線電気と地域の方に連想頂けるようにブランディングも意識して特化していきました。
電気屋で暇な会社はそうはありません。イケているかどうかは別として電気屋はどこも忙しく、既存の仕事で手一杯。だから、なかなか新しいことに目を向けようにも余裕がありません。弊社もご多分に漏れず、太陽光発電という新規取り組みは、当初は社員になかなか理解を得られませんでした。
忙しい社員にこれ以上、負担を強いることはできない。まずは、社員への負担をかけずに社長の自分ができることをやろうと思い、企画や営業をしました。当時は住宅用の太陽光発電を主力として扱っており、お客様はサラリーマン層の方が多く、商談は土日に集中します。社員が休んでも一人で梯子を車に乗せてお宅に向かい、屋根にあがり屋根の形状や劣化状態を確認し大きさを測り、天井裏や分電盤を確認し、お客様へご説明をしながらCADで図面を作成し、ご商談中にお見積りをメールでお客様に配信して、帰りました。こだわっていたことは、その場では絶対に契約をしないこと。ご納得いただいたお客様がいらしても、必ず一晩考えてください、ご家族でよくご検討お願いします、とお伝えし、帰りました。無理やり契約をすることなく、お客様のご意思によりお仕事のオファーを頂くことにこだわりました。
施工事例を一軒、一軒積み重ね、ブログを更新し、ネットを充実させた結果、問い合わせが来るようになりました。ほとんどのお客様は一段落する夜10時、11時頃にメールのお問い合わせが多く頂きました。私はできる限り、朝までにメールのご返信をすることを意識しました。
徐々に住宅用太陽光発電のお仕事が増えて、いつしか、日本全国で5本の指に入るくらい個人の営業成績をあげるまでになりました。私は大手の会社とは違い、お問い合わせ対応、商談、現場調査、設計、ご契約をすべて一人で対応しました。また、過去においてクーリングオフがないことが自慢です。弊社にオファー頂く方は、単なる価格だけではなく、物事の本質がわかる人間性の素晴らしい方ばかりで、とても素晴らしいお客様とのご縁を沢山いただきました。
社員もいつしか、今までのお得意様の電気工事の仕事に、手がまわらないほどに太陽光発電のお仕事が増えて、太陽光発電の成果を実感することができました。社員も太陽光発電のお仕事に誇りをもつことになり、理解を得ることができました。
住宅用の太陽光発電で快進撃が続いたころ、次なる展開として産業用の太陽光発電の全量買い取り制度が始まることを想定していました。ドイツ、中国、台湾、韓国、アメリカ、ノルウェイ、フィンランド、シンガポール、などなど沢山の国を訪れ、国際展示会や太陽光モジュール工場を見学し、世界の太陽光マーケットや施工方法を研究しました。
地元が大好きな私は、尊敬する経営者を発見しました。家族経営で小さな規模の会社ですが、ドイツから輸入をしてビッグサイトの展示会に出展している会社がありました。すごい!格好良いと思いました。
いろいろなところでドイツに行くことを話していたらドイツに精通している人を紹介してもらい、数年後にはドイツ製の世界一品質の高い商品を日本で初めて扱えるようになり、いつしか仕事で年に数回行けるようになりました。夢を語っていたら大木無線電気の躍進につながりました。
借金苦からの20倍返し!!
私が社長就任以来、6年間で売上が就任当初と比べて20倍となりました。
太陽光発電事業で経営は劇的に良化し、債務超過を解消することができました。しかも社員数はそれほど大幅に増員をしておらず、少人数で最高のパフォーマンスを発揮してきました。平成14年の頃は、千葉県内の電気工事を主業または第二主業とする会社の中で利益額は三位、社員一人当たりの利益額は一位となりました。太陽光発電事業の恩恵は一時のボーナスであり、いつか衰退すると考えていたため、大幅な人員増員や営業所を増やすなどの拡大路線はとらなかった。
相手にされずに借金の利子だけを支払い続けてきた銀行にもやっと相手にされるようになりました。夢であった、地元(船橋市芝山)に社屋を建てなおすこともできました。また、念願だったメガソーラーを自社で保有することも叶い、その後も着実に発電所を拡大することができました。
自社発電所所有には目的があり、
1.お客様にご販売する前に様々な検証を行う実験場としての目的
2.在庫が発生しても自社発電所で利用ができるため、大胆な購買が可能となり、お客様の販売価格を下げることにつなげる目的
3.お客様と同じ商材を使用することで、有事の際のバックアップとなりお客様への安心感をご提供する目的
4.再生可能エネルギーの普及に寄与し、CO2排出量低減を実践する目的
5.安定収益源の確保する目的
現在も自社発電所は拡大中です。
いち早く着手していたことが功を奏し、2017年7月の全量買い取り制度が始まったころには実績があったため多くの注目を得て、日本全国よりお引き合いを頂きました。
産業用太陽光発電で躍進した大きな要因は2つあります。
それは世界一品質の高いソーラーワールドというドイツ製のパネルを日本で一番早く案件採用し、品質を重視するお客様からご愛顧を頂きました。
2つめは、地面に太陽光パネルを設置する“野だて”という施工において、国内でいち早く取り付け架台の設計・製作・輸入を手掛け、施工方法を確立していたため、全国からお引き合いを頂きました。
この2つの特徴により、小さな大木無線電気が太陽光発電のリーディングカンパニーとして全国で展開することができました。
電気ハツラツ!にひめた思い
僕の住む街、芝山からどんどんお店が消えてゆく。
大型店舗は便利で何でもあって夜遅くまでやっていて便利だけど、でもなんか寂しいよな。。。 子供の頃は、お店のおじちゃんやおばちゃんとのふれあいがあった。
親切な人、こわい人、ムスッとしている人、いろんな大人がいて子供が沢山の人とふれあう場があった。
ある日、万引きして家に帰ったらお店のおばちゃんがうちに来てお茶飲んでた。昔の人は粋だったよな。
そのおばちゃんも文房具やさんを辞めちゃった。
沢山の友達のお父さん、お母さんも街にお店を出していた。
今は街への関心や関われる場所が少なくなってしまった。昔は街ぐるみで子供を育ててくれた気がする。
大型店舗やインターネット販売の普及や後継者不足とかいろいろあるけれど、街にもっと活気を与えられないのかな。
何とかならないのかな。自分にできることは何だろう???
芝山の先輩経営者から刺激を受けて、ドイツ行きを目指したように、自分が頑張ることで誰かの役に立てるかもしれないと思いました。
環境をつきつめていくと食や土、水などに行きつきます。安全で安心な食や循環型農業を自分たちの経験や技術をいかした革新的な農業をめざします。
現在は、パクチー栽培を手掛けており、順調に成果をあげています。
太陽光発電の技術や経験をいかし農業用ハウスを海外から輸入し、自社で建設しております。
すでにカンボジア展開をしている仲間のご縁で、カンボジアの展開が始まりました。カンボジア人を正社員に向かえ、彼が将来カンボジアに帰り錦を飾れるように現地法人をつくりました。
日本の技術や商材を現地に届ける事業展開を進めております。
船橋商工会議所青年部の活動で、アフリカにとって船橋を一番親しい街にしよう!と呼びかけたことがきっかけで、アフリカ、アフリカと言っていたら、ガーナ人が経営するバーがあることを紹介してもらいました。
彼と夢を語り、ガーナと船橋の架け橋に我々がなろうと意気投合し、ガーナに進出をきめました。
現在は、FUNABASHI CAMPANY.,Ltdを設立し、太陽光発電事業、養豚事業、不動産事業を開始しました。
我々の痛快な展開がテレビ局の目にとまり、となりの外国人でも放映されました。
その後、本田技研工業様からもお声がけを頂き、現地で発電機・ポンプ・草刈り機などのパワープロダクツ商材をガーナで販売する代理店契約を結び、HONDAブランドを扱うことになりました。
船橋に関する伝説づくり
地元の仲間と会うと、「何かおもしろいことやろうぜ!」と語っていました。
その中にいつか映画をつくろうという話がありました。それがご縁により実現しました。
★日本中で「前代未聞」の「市民主導型」の映画制作
★船橋市政80年の中で、全市民に一緒にやろう!と呼びかけることができる初めての企画
2017年4月に決起会を開催。
600人の市民が参加し、犬童監督の前作“つむぐもの”上映、原作・森沢明夫さん&前田プロデューサー&犬童監督のトークショー、サポーター募集説明が行われ、大変盛り上がりました。
市民オーディションを開催しました。
800人の応募があり、書類選考で200人の方に実際のオーディションに参加頂きました。20人以上の市民キャストが誕生しました。
撮影期間中において、船橋ロケのほぼすべてを市民が朝、昼、晩、夜食の提供をしました。一人でも多くの方がこの映画撮影に参加し、思い出をつくって頂くためにあえて手作りの食事提供にこだわりました。
朝食は4時や5時集合、深夜ロケも多かったので、苦労も多かったですが、参加者は絆も芽生え良い思い出ができました。
スタッフや俳優さんにも市民の熱意や愛情が伝わったものと思います。
市民エキストラの募集や管理も市民が主体となり運営しました。
鉄道シーンでは終電後の深夜ロケが連日続き、緊張感の中、市民力により素晴らしい撮影となりました。
2017年10月に撮影は終了しました。 この映画は、多くの愛情が注がれた感動作品です。 今後、船橋の大きな財産になると信じております。
その後、第21回上海国際映画祭に正式出品され、ワールドプレミア上映、第1回 熱海国際映画祭で上映などを経て、2018年9月7日に『TOHOシネマズららぽーと船橋』で先行公開。 2018年09月15日に有楽町スバル座ほか全国50館で公開されました。 また、第9回ロケーションジャパン大賞審査員特別賞も授与され、ALL船橋で勝ち取った素晴らしい成果を残すことができました。
さらに、2019年6月4日にはDVDも発売され、現在は、アマゾンプライムでも視聴する事が出来ます。